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カテゴリ:LIFE( 9 )

#026 超理想主義

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こんばんは、みなさん元気にしていますか? 少し時間があいてしまいましたが、久々に更新したいと思います。

ピストバイクカルチャーを収めたドキュメンタリーフィルム「FAST FRIDAY」、、、これめちゃくちゃかっこいい。
僕はバイカーではないんですが、これ観たら自転車買いたくなるし、乗りたくなるし、、、単純に憧れてしまいます。


何が、かっこいいって彼ら特有のスタイルがあるんですよ。
是非DVDを観てもらいたいんですが、センスもいいし、かなりきまっててイケてる。
あとは、メンバーそれぞれが「FAST FRIDAY」という場に積極的に参加しているし、それこそ本当に大切にしている。
これといって定義がない分、発展性も可能性もたくさんあって、それぞれがシーンを盛り上げようと参加している。


小さな集団なんだけど、凄くエネルギッシュで、強度がある。
「強度」なんて言葉は凄く曖昧なので、もう少しわかりやすく言うと「人を惹きつける力、人を虜にする力」がある。
こういう磁力みたいな力はやっぱり、ハードな部分からではなくて、ソフトな部分から生まれるものだと思うんですね。
つまり、人が作り出すものだと思うんです。そこにいる人達が精一杯に楽しんで、遊んで参加している。


人が人を呼んできて自然と人が集まってくる。そして自然とシーンが拡大していく。自然と盛り上がっていく。
こんなに(嫌味たっぷり、含みたっぷりに言わせてもらうと)「効率のいい」広報なんてないんじゃないかと思います。
だって、広告枠を買うお金もいらないし、印刷代金もいらない。全く(またまたあえて言うと)「コスト」がかからない。


でも、「これはビジネスです」「これは商売です」ってなった瞬間にこういう考え方があっという間に飛んでいく。
それが何なのか僕にはわからないんです。誰かこれに対する答えを持ち合わせていたらこんな僕に教えて下さい(笑)


何かと「コスト」の話ばっかりで、面白くないんですよね。
「コスト=お金」っていう考え方がそもそもナンセンス。費やされるものって「お金」しかないんですかね??
そんな考え方をしているから、効率ばかり考えるし、何でもかんでも外注して、自分達ではやらないんですよね。


ちょっと愚痴っぽくなりましたけど、みなさんどう思いますか?? やっぱりみなさんにも共有されないものなんですかね??



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by koutaw | 2009-07-02 01:27 | LIFE
#025 握手

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少し前にウォーホールについて勉強しようと思ったんです。んでこのDVD「Andy Warhol/Super Star」観てみました。
1つずつ作品をしっかり見たいというよりは、ウォーホールを全体的に知りたいという感じだったのでちょうど良かったかなと思います。
だから、ウォーホール関連の本やDVDをもう少し観ると、いろんなことがわかるかなと・・・これからもCHECKしたいなと思ってます。
因に、このDVDも十分に面白いんでもしよかったらお近くのTSUTAYAで借りて観てみてくださいね!!


”ウォーホールは、直感的にそして理知的に世間の反響を呼ぶような題材にめぐり合ってきた”

このDVDのなかで上のような話が出てくるんです。
例えば、ウォーホールの代表作品、キャンベルの缶スープのプリンティング。いま冷静に観るとなんでこれなんだろって感じしませんか?

僕は正直になんでこれがそんなに評価されてるんだろって思っちゃいました。
でも実はこれ、その時代においては「大量生産の象徴」のような存在なんです、まさにその時のアメリカを象徴するような素材なんです。
その時代は、「アメリカ=文化的に遅れた国、下品なまでに商業化されたひどい場所」という風潮が国内に蔓延していたみたいなんです。
それをばっちり素材として選択出来てしまうこと、そしてその価値を信じて、実際に作品にしてしまうことが凄いなと思うんです。

仮に今少し考えてみてください、日本を象徴する素材ってなんだろう?? ってむちゃくちゃ難しくないですか?


今も存在するようですが、NYに「セレンディピティ3」というお店があって、そこでウォーホールは様々な人と交流していたみたいです。
ファッションモデル・俳優・作家などその時代を作り上げている人たちそこで出会い集まり、濃密な時間を共に過ごしていたようです。
こういうプラットフォームになるような場所が身近にあったことが、作品の素材を探しやすくしていたのかななんて思います。

東京にもというか日本にもこういう場所があればな〜なんて、単純に思います。
とは言うものの、本当に必要なのはそういうハードな部分じゃないのかななんて最近思ってます。重要なのはソフトな部分なのかなと。


「競争」じゃなくて「協奏」 
競い争うんではなくて、協力して奏でることの可能性とエネルギーを僕は信じたいなって最近思ってます。手をとり合いましょう!!



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by koutaw | 2009-06-18 03:55 | LIFE
#022 ラモス瑠偉

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さっきまでサッカー見てました。
何ともすっきりしないというかしゃきっとしない残念な内容・・・遠藤と長谷部がいかにゲームを作っているかが明らかになった感じ。
彼らがいれば確実にゲームの内容はもっと充実したものになっていたと思うし、もしかしたら勝っていたんじゃないかと思う。

結果に満足出来なくてここで愚痴をこぼしたい訳じゃない。
サッカーは1チーム11人、キーパーを除けば10人で、そのうちの2人が抜けてこれだけチームが機能しなくなることに興味を感じたのだ。
遠藤や長谷部に代わって、出た選手だって日本を代表するトップクラスのサッカー選手で、代表常連の選手であり、能力は十分なはすだ。
なのに、今日の日本代表は不協和音を響かせ、前に進む力を失っていたように思う。


そんなことを考えながらなんとなく、サッカーを観ていたときに、あることに僕は気付いた。
遠藤や長谷部にあって、今日の2選手が彼らより劣っているものが何かわかった・・・それは「パスの質」である。
サッカーはただパスすればいいだけじゃない。パスする相手が次のアクションにスムーズに進めるよう出し手は配慮しなければならない。
気持ちのこもった、思いやりのある優しいパスを出さなければならないと、かのラモス瑠偉もよく言っていた。

その「パスの質」が今日は欠けていたように思う。だから、チームにリズムが生まれなかったし、前に進む力を生み出せなかった。
一人一人が「パスの質」を意識する、つまりは受け手に配慮して、受け手をうまく巻き込んで共に前進をする。これが非常に重要に思う。


僕の周りにはたくさんの人がいる。
家族だったり、彼女だったり、友達だったり・・・よく行くお店の店員さんだったり、とかくたくさんの人に囲まれ、関係し合っている。

例えば、これが1つの大きな大きなサッカーチームだとする。
今までの話から判断すると、僕はここで「パスの質」に注意をしなければならないらしい・・・ではここでいう「パス」とは何だろう?
まさか、普段から常にボールを蹴り合っている訳ではあるまい、では何を「パス」するのであろう?


ここまでくれば何となくわかってしまうだろうが、それは「ことば」だ。
普段から僕らはコミュニケーションツールとして「ことば」を使っているが、冷静になってみると「ことば」なんてものはとても曖昧。
その時のニュアンス次第でその意味も全然変わってくるし、ある種とてもいい加減で、とても複雑である。

僕らは、そんな「ことばの質」を普段あまり意識していないのではないだろうか?
もしかしたら、知らず知らずのうちに「ことばの質」のせいでチームに不協和音を生み出し、前進力を失ってしまっていないだろうか?


「ことばの質」に配慮し、共に前進していければと強く思う。遠藤や長谷部のような前進力のあるパス(ことば)を放てる人になりたい。


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by koutaw | 2009-06-10 23:33 | LIFE
#019 I'm danced by ¥

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少し前に、DVD「Beautiful Losers」を見た。僕にとっては、とても刺激的な内容だった。
個々のアーティストのクリエイティビティはもちろん刺激になるし非常に魅力的だが、僕が気になったのはこの現象そのもの。

所謂、「Losers/落ちこぼれ(決して落ちこぼれなんかではない)」が互いのクリエイティビティを敬い讃え、刺激を求め集まってくる。
それをきっかけに、アーロン・ローズが中心となって、NYにアレッジドギャラリーが手作りでオープンされる。
アレッジドギャラリーから様々なカルチャーとムーブメントが発信され、聖地のような伝説的な場所となる。

しかも、これが1990年代のお話。そう遠くはない過去のお話。

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こちらはサーフィンのドキュメンタリー映画。
これは30,40年前の話にはなるがこれもその時代には全く新しい「サーフィン」というライフスタイルを生み出し、今も継続されている。


なぜこんなことが成し得たんだろう??
お金儲けしようと思って始めた訳ではない。楽しかったから、面白かったから、やりたかったから、、、強いていえばこういうこと。
そういう単純でピュアで誰もが共感出来る感情や感覚が、まるで磁波を帯びたかのように、様々な人を呼び寄せ集め、コミットしていく。

ブランディングとか社訓とか・・・インターナル・コミュニケーションとかそんなものは必要ない。
彼らは自然とマインドを共有している。いや、逆だ。マインドを共有しているから一緒にいる。だから自分達を信じ、自ら情熱も持てる。
しかも、彼らは「効率的だし、そっちのが早いじゃん」とか言って”外注”なんてことはしない。できることは自分達で全部やってしまう。

いや、やらざるを得ないのかもしれない・・・なぜなら、所謂会社のようにまとまったお金がないから。
僕らは無意識にお金の使い方を覚えてしまったのかもしれない。いや、悪くいえばお金に振り回され、踊らされているのかもしれない。


彼らは決して言わないだろう。「いや〜仕事だから仕方ないでしょう」なんて。



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by koutaw | 2009-06-05 13:23 | LIFE
#017 グローカル

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Landscape Products co.,ltd.の代表・中原慎一郎さんの著書「僕らのランドスケープ」を読んだ。以前にも読んだので2回目だ。
トークショーや講演会など以前からお話を聞かせてもらったりしていて、おこがましいが僕が尊敬している方です。
千駄ヶ谷にあるお店も凄く素敵で、もしよかったらこの本を片手に足を運んで欲しい。


この本を読み進めると「町の交流」とか「町のサロン」とかっていう言葉が出てくる。
僕は中原さんのこういった視点というかポジショニングが凄く好きで、僕もそういった視点を持ちながら仕事がしたいと思っている。

「仕事」ってなんなんだろう、みたいな一見難しい事を考えてみる。
そこには人それぞれの感覚や価値観があると思うから、いろいろな答えがたくさん出てくると思う。僕にとって仕事は「楽しいもの」だ。
僕自身が楽しくなかったらそんな仕事は絶対にできないから、僕は絶対楽しんでなくてはならない。やっぱり、仕事は楽しみたい。
もちろん、僕と相対する人にも楽しんでもらいたい。楽しんでもらえたかどうかが、やっぱり僕は一番気になってしまう。

自分が楽しいと思う事を精一杯やって、それに共感・共鳴してそれを感じてもらって、そして楽しんでもらう。これは素晴らしいと思う。
これはもう仕事であって仕事でないようなものなのかもしれないなとも思う。


言葉は、使い方次第で自分を大きく見せたり小さく見せたりできる。
誰かに「何がしたいんですか」と問われれば「世界中の人、日本中の人を楽しく豊かにしたい」とも言えるが、それこそおこがましい。
僕はそんなこと言いたくもないし、そんないかにも疑いたくなるような事を平気な顔して言う事はどうしてもできないなと思う。

だから、中原さんの「町の交流」とか「町のサロン」といった言葉が凄くシンプルに聞こえるし、素敵だなと素直に思える。
周りの人を巻き込んでコミュニケーションしながら、楽しいと思えることを精一杯やる。また、その中から新しい楽しいことを見つける。
そして、それをまた楽しむ。

これがいいんじゃないかな、自分にはあってるんじゃないかなと思う。


この前何かで「グローカル(グローバルとローカルを合わせた造語)」なんて言葉を目にした。
グローバルとローカル、両方の視点を持ち合わせなきゃいけない。この純粋な思いをやっぱり大切にしていかなくてはいけないなと思う。


なんか最近かっこつけすぎてたかなと思う。それが一番かっこわるいですね・・・反省。
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by koutaw | 2009-05-29 14:43 | LIFE
#016 Tokyo Subsistence

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「coyote」の最新号を読んだ。
僕はデザインとかアートとかクリエイティブな事が凄く好きだけど、そればかりになってはいけない。
何事にも程度というものがあって、バランスが重要。特にデザインやる人なんていうのは余計にバランスに気をつけなければならない。
デザイン、デザイン、デザイン、、、あ〜デザイン漬けのおひたしになってはいけない。


オアフ島から東に35km離れたところにモロカイという小さな島がある。
人口は8,100人で、その半分がネイティブハワイアンの血を引いていて、ハワイ諸島の中で最も伝統的な生活様式が残っている場所だ。

そのモロカイ島には「サブシステンス」というライフスタイルがある。みなさん、知ってました??

まず聞き慣れない「サブシステンス/subsistence」という言葉を調べると「必要最低限の生活;生計, 暮し;生活手段」と出てくる。
雑誌の中でも同様の事が記されている。「モロカイの住人が直接に個人や家庭で消費するために、野生の、あるいは耕作した食料・資源・
燃料・医療・文化・宗教・医薬品を使用すること、慣習的交換をすること」と定義されている。

ここで何かに気付きませんか??単なる自給自足の生活とは違うんです。よく読めばわかると思うんですけど・・・どうですか??

僕がこの「サブシステンス」というライフスタイルに注目したのは上の定義の中の「慣習的交換をすること」っていうところなんですよ。
自給自足生活は僕も憧れがあるし、とても魅力的に感じていますがしかし、、、やっぱりどうしてもハードル高くないですか??
少なくとも今の僕には少しハードルが高すぎます。すいません。

だから、何か違う方法でその自給自足生活を盛り上げたり、今の生活を少しでも豊かにする事が出来ないかなって最近考えていたんです。
それがこの「慣習的交換」ということなのかなと思って、これは素晴らしいライフスタイルであり、文化だなと思ったんです。


じゃあ、何を交換するのか??
僕が今いろんな人と交換したいなって考えているのは「ちょっといいこと」や「ちょっといい情報」です。
今すぐにでも人に自慢出来るようなむちゃくちゃにいいことがあれば、それはそれで素晴らしい事ですが、、、なかなかそうもいかない。

だから、「ちょっと」でいいんです。
自分自身が知っている「ちょっといいこと」や「ちょっといい情報」をいろんな人と交換し合って、共有し合えればいいなと思うんです。
みんなで集ってワイワイガヤガヤしながら、支え合いながら生活を楽しく豊かにしていく事なら、この東京でもできるんじゃないか。
むしろ、この東京にピッタリのやり方じゃないか??


まずは、このブログからでもいいので、Tokyo Subsistence しませんか?
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by koutaw | 2009-05-23 02:05 | LIFE
#013 何を信じますか?


つい最近、某アートセンターの人と会ってお話をする機会があって、行ってきた。
僕は、その機会を本当に大切に感じていて、時間をもらえる事に感謝もしていたし、何よりもその時間をとても楽しみにしていた。

しかし、結果は散々なものだった。
期待しすぎた僕が悪かったのか、、、必要以上に相手を美化し過ぎたのか、、、理由はわからない。


とにもかくにも僕は粉々に砕け散った。そう、本当に粉々に、打ち砕かれた感じがした。
僕自身について何か否定的な事を言われたのならまだ良かったと心底思う。なんだろう・・・過去に味わった事のない感覚だった。

ただその時間が僕にとって全く建設的ではなく、がっかりさせられるようなモノであった事は間違いない。
失礼と感じたり、がっかりしたり、腹が立ったり・・・それには必ず対象があって、その対象に僕は裏切られているように思う。
今回もまさにそれだ。

そう考えると、一概にその対象に非があるとも言い切れなくなってくる。
なぜなら、僕自身が求める強度や能力を、そもそも対象が持ち合わせていないことがあって、過剰に求めてしまう事もあるからである。
もしかしたら、期待しすぎたのかもしれない。いや、期待させられすぎたのかもしれない。


彼らはテーマとして「生活とアートの融合」「豊かなライフスタイル」を掲げている。
しかし、当日会った人間から出てきた言葉は「アートの事業化」であり、話を聞いてると必ずお金儲けの話が出てくる。

この資本主義のシステムの中でビジネスとして成立させる以上、お金を生まなくてはならない。
だけど、仕事の成果として「儲けること」を一番に考えたくはないし、お金にもならなくて目にも見えないようなものを僕は信じたい。
そこを大切にしたいし、求めていきたい。

僕から言わせれば彼らはお化粧が上手なだけ。
「生活とアートの融合」「豊かなライフタイル」とかいかにも聞こえの良い、魅力的な言葉を使ってまさしくお化粧ばかり頑張っている。
でも少し化粧を落としてみると、中身はカスカスの空っぽで、お金儲けの事しか頭にはない。

奇しくも僕が会ったその人は、こう言っていた「全ての女性に美しくなって欲しい」と、なるほど。

そのお金儲けに自分の大好きなアートやデザインが利用されてることが非常に腹立たしい。
もし、彼らが目に見えないものについて、少しでも配慮しているのであれば、「アートの事業化」なんて言葉はまず使わないだろう。
そして、あんなものの言い方はしないだろうし、僕もここにこんな事を書かないだろう。


クリエイティブであることを忘れてはいけない。
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by koutaw | 2009-05-14 19:09 | LIFE
#005 波乗り × デザイン

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DVD ジェイソン・バッハ/マーク・ジェレミアス監督作品 ONE CALIFORNIA DAY より

カリフォルニアに脈々と流れるサーフ・カルチャーのドキュメンタリー映画で、以前からずっと興味がある。
何故かというと、僕には彼らがとても輝いて見えるからである。みなスタイルを持っていて、やはり魅力的である。

そんな中、この映画の中に度々出てくる単語がある。
それは、「精神」「伝統」「歴史」そして「尊敬」である。

僕はこの単語が繰り返し出てくることに強い違和感を覚えた。
これらの単語の意味も理解はしているし、実際に使うことも少なくはないが、彼らほどリアリティを持って使ったことがないからである。
僕と彼らの間には決定的にリアリティに差があって、彼らの使うそれらは僕が感じたこともない何かがのしかかっているような気がする。

なぜだろう?

デザインの世界にだって、これらの単語は同じ意味で同じように使われる。しかし、はっきり言って僕にはそこまでのリアリティがない。
全く違う業界の全く違う状況にある人でも同じような感覚を覚える人は少なくないのではないだろうか?

ありがちだが、やはり「人と人のつながり」が大きく影響しているように感じる。サーフ・カルチャーには長く強い人のつながりがある。
彼らはサーフィンをしながら、他のサーファーと少しずつコミットしていって、ゆるやかなコミュニティを形成しているように感じる。
しかも、そのコミュニティには決まりきった枠がなく、それぞれのスタイルを十分に解放できる余裕と許容があるように思う。
そのコミュニティのようなものを通じて、人から人へ「精神」「伝統」「歴史」そして「尊敬」の念が脈々と受け継がれていくのである。

そこには教科書もテストもない、教育のように大事なところも大事じゃないところもない、実に人間的に自然と受け継がれていっている。

また、サーフボード一つ作るにしても人と人のやり取りで行われる。
彼が作ったボードに乗りたいだとか、僕のボードを彼に作ってもらいたいだとか、逆に彼のボードを僕に作らせてもらいたいだとか、、、

今回本作を見て、こういったプリミティブな部分を見つめ直さなきゃいけないと強く思った。
本当に何かを変えたい、本当に世の中を良くしたいと思うのであれば、この原始的なところに帰らなくてはいけないのかもしれない。

今日またできそうなことが見つかった。
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by koutaw | 2009-02-08 01:39 | LIFE
#001 宣誓


最近、思うことが有ります。

人間社会には「慣れ」という単語が存在して「自分自身を理解しやすいように馴染ませていく曖昧な能力」があるなとつくづく思います。
最近では「生きること」「生活すること」にすら慣れて、馴染んでいってしまっているような感じがします。

それは僕ら人間に脳があって「考える」ことができるからなのかなと思います。


フランスの哲学者デカルトが「我思う、ゆえに我あり」と自著の中で提唱しています。
「考える」ことがそもそもの存在証明であるとするこの命題をもう一階層掘り下げる必要があるように今思うんです。

つまり、「考える」ということを考えなければいけない気がするんです。

今日僕は本当に久しぶりにこのブログを更新しました。
このブログが僕にとって「考えることを考える」契機になればいいなと思って、改めて書いてみようと思いました。


ちなみに、僕は今とても幸せです。
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by koutaw | 2009-02-02 01:44 | LIFE